「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部
【歴史探求&食いだおれ部】9/18「ヨドコウ迎賓館」と「武庫川女子大学甲子園会館」を歩く
9月18日(水)午前9時30分 JR甲子園口駅南改札口集合。
近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計した「ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)」と、その弟子遠藤新の設計による
「武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)」を巡って来ました。
甲子園会館は日本に残る数少ないライト式の建築であり、国の近代化産業遺産および登録有形文化財に登録されています。
帝国ホテルの常務取締役でホテル界の第一人者といわれた林愛作(1873~1951)の理想にもとづき、フランク・ロイド・ライト
(米・1867~1959)の愛弟子・遠藤新(1889~1951)が設計しました。中央に玄関・フロント・メインロビーを置き、左右に大きく
メインダイニングとバンケットルームを張り出し、その両翼の上階に、集約された客室群を階段状に配した構成となっています。
「打出の小槌」を主題にしたオーナメントや緑釉瓦、西ホールの天井に見られる市松格子など、日本の伝統美が随所に取り入れられ、
壮麗な洋風建築の空間と巧みに調和しています。甲子園会館は、昭和5年(1930年)に甲子園ホテルとして竣工し、その後海軍病院・
米軍の将校宿舎を経て、昭和40年(1965年)、武庫川学院が譲り受け教育施設として再生しました。かつては「東の帝国ホテル
(明治村で建物の一部を保存)、西の甲子園ホテル」と並び称され、阪神間における高級社交場としても賑わいました。
次にJR芦屋駅まで移動し訪ねたヨドコウ迎賓館は、山邑家別邸として1918年(大正7年)にアメリカが生んだ近代建築の巨匠、
フランク・ロイド・ライトによって設計されました。
ライトがアメリカに帰国後は、彼の弟子である遠藤 新と南 信が引き継ぎ、1924年(大正13年)に竣工。1947年(昭和22年)に株式会社淀川製鋼所が
社長邸として建物を購入し、1989年(平成元年)より「ヨドコウ迎賓館」として一般公開しています。1974年(昭和49年)には、
大正年間の建物として、また鉄筋コンクリート造の住宅建築として初めて、国の重要文化財に指定されました。日本では旧帝国ホテルの
設計者として知られているライトですが、建築当初の姿をほぼ完全に残すライトの住宅建築は、日本にはこのヨドコウ迎賓館のみです。
敷地は南北に細長く、ゆるやかな南傾斜となっており、建物はその山肌に沿って階段状に建てられています。幾何学的な彫刻を施した大谷石や、
マホガニーの複雑な木組み装飾、植物の葉をモチーフとした飾り銅板など、自然と融和するライトの建築思想を随所から感じられます。建物は、
緑に囲まれた小高い丘の上に建ち、屋上のバルコニーからは六甲の山並み、市街地や大阪湾を眺望することができます。
ライトは、アメリカが生んだ近代建築の巨匠です。生涯で800を超す設計事例のうち400は実現したといわれ、ル・コルビュジェ、
ミース・ファン・デル・ローエと共に20世紀を代表する近代建築の三大巨匠と呼ばれています。1867年にアメリカ・ウィスコンシン州で
生まれ、シカゴ派の巨匠ルイス・サリヴァンに師事した後、1893年より独立し建築家として名を馳せました。当時は機能性と合理性を求める
“モダニズム”が建築界の潮流でしたが、ライトは“周囲の自然環境と融和し、豊かな人間性を保証する建築”こそが理想であると考え、
“有機的建築”を提唱しました。主に住宅建築に作品が多く、「カウフマン邸(落水荘)」「グッゲンハイム美術館」などが有名。
ライトは浮世絵のコレクターとしても知られ、日本にも度々足を運びました。日本では旧帝国ホテルの設計者としても名が知られています。
ライトの業績の多くは母国アメリカのもので、国外の業績は計画案も含めても30数件と少なく、その約1/3が日本のものです。
実際に建築されたのは当館も含めて6件、その中で現在まで建築当初の姿を留めているのは、東京・池袋の自由学園明日館とヨドコウ迎賓館
のみとなりました。ランチは、ナポリピッツァとイタリア郷土料理の店「アレグロ 芦屋店」。中央支部から5名、なにわ南支部から4名、
大阪南・大阪東・北の各支部1名、計12名の方に参加いただき、楽しいまち歩きでした。