「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部
【歴史探求&食いだおれ部】4/24日本銀行内部特別見学と歴史的建築街「中之島・道修町」を歩く
4月24日(水)、日本銀行大阪支店新館前に午前9時30分集合。歴史的建築街「中之島・道修町」を歩いて巡って来ました。まずは普段全く見ることのない、日本銀行の内部特別見学から。水都大阪の水運の要を担った堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島。古くは各藩蔵屋敷が立ち並び、現在も大阪を代表するビジネス街です。その中之島の、大阪のメインストリート・御堂筋に面した一角に日本銀行大阪支店はあり、大阪市役所本庁舎と御堂筋を挟んで向き合っています。大阪のランドマークの一つとなっている大阪支店旧館は、東京の日本銀行本店と同じくわが国近代建築の第一人者・辰野金吾が設計したネオバロック様式の洋風建築です。緑青が美しいドーム屋根など重厚な外観は、市民にも親しまれ、年間5千人の見学者が訪れています。旧館の奥にある新館では、関西経済を支える日銀の業務が行われています。
続いて内部を見学したのが府立中央図書館。明治37年、江戸時代から大阪を本拠地として事業を続けてきた住友家の第15代住友吉左衞門友純が図書館建物と図書購入資金を寄贈したことによって建設された図書館。大正11年には、左右両翼部分も寄贈で増築(国の重要文化財)。石造り三層、銅葺きのドームがそびえる重厚な建物で、建築を担当したのは、住友臨時建築部の建築家・野口孫市と日高胖。中之島図書館には、古文書や大阪関連の文献、ビジネス関係図書を所蔵。静かで便利な立地条件もあって、完成後約100年を経たいまもなお、研究者や本を愛する人たちに親しまれています。
その東隣りが大阪市中央公会堂。水の蒼と木々の緑に映えるネオルネッサンス様式の美しい外観は、いつの時代も変わらず、多くの人々に愛され親しまれています。大阪市中央公会堂は、ひとりの大阪市民、岩本栄之助氏の寄附をもとに大正2年に着工し、大正7年に竣工しました。以来1世紀近くにわたって国際的な一流アーティストによるオペラやコンサートの他、各界著名人の講演会も数多く開催されるなど、大阪の文化・芸術の発展に深く関わってきました。現在もなお、公会堂の壮麗な雰囲気を生かした様々な利用がなされており、市民の活動拠点となっています。平成11年3月、度重なる改修などにより創建時の意匠が損なわれ、老朽化が進んだことから保存・再生工事に着手し、3年半の歳月を経て、平成14年9月に完成しました。工事は歴史的建築物としての保存と、創建時への復元改修に加え、古い建築物に高い耐震性を与え甦らせる「免震工法」や、時代のニーズに応えて次世代まで活用できるよう、スロープやエレベーターを新設するなど大掛かりなものとなりました。こうして美しく甦った大阪市中央公会堂は、平成14年公会堂建築物として西日本で初めて、国の重要文化財に指定されました。
昭和46年、中之島一帯を高層ビル群へと変貌させる再開発計画が持ち上がり、日本銀行旧館、大阪市役所、府立中央図書館、大阪市中央公会堂は解体されることになりました。それに対し、大阪の若手建築家や多くの市民が反対し、中之島を守る保存運動が起こりました。その結果、大阪市役所は解体されましたが、他の3つの建物は残り、今も市民に愛されています。
続いて内部を見学したのが、適塾(緒方洪庵旧宅)。天保9年(1838)から文久2年(1862)までの24年間、医者・蘭学者、そして教育者でもあった緒方洪庵を中心として開かれた私塾。もともとは医学を教える塾でしたが、志にあふれる塾生たちはオランダを通じて伝えられる最新の知識にも興味を示し、各種の本を読みあさって蘭学塾に発展。現在の建物は昭和39年(1964)、国の重要文化財に指定され、内部は洪庵が居住していた当時の姿に復元されています。建物自体も、北浜の町家の姿を示す貴重なものです。
歴史的建築物の市立愛珠幼稚園、日本基督教団浪花教会、伏見ビル、青山ビルの外観を見ながら最後に向かったのは、少彦名神社。「薬の町」として知られる道修町のビルの谷間に鎮座し、健康の神・医薬の神として知られる神社です。日本の薬祖神である少彦名命(すくなひこなのみこと)と、中国医薬の祖神・神農炎帝(しんのうえんてい)をご祭神としており、「神農さん(しんのうさん)」とも呼ばれています。文政5年(1822)に大阪で疫病(コレラ)が流行した時、疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬をつくり、病除祈願し無償でお守りの「張子の虎」とともに配ったところ病気が平癒したと伝えられています。ランチはネパール・インド料理の「マナカマナ」でカレーセットをいただきました。中央支部から4名、北支部から3名、大阪南支部・なにわ南から各1名、計9名の方に参加いただき、楽しいまち歩きでした。