「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部

平安から現代へ・歴史が連綿と受け継がれるまち「平野郷」を歩く

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1月28日(日)少し曇り気味でしたが青空も見えるお天気の元、JR関西本線平野駅を午前10時に出発。戦国時代の環濠自治都市「平野郷」歩いて巡ってきました。平野は大阪の中でも、最も早く開けた町で、戦国時代には環濠と土居で自衛し、町民が町を運営する自治都市として、堺と共に近世史にその足跡を残しています。その商人の富は大阪のまちづくりに力を貸し、江戸時代の大和川付け替えによって隆盛した、河内木綿の集散地として繁栄しました。また商業の発展は文化の交流を呼び、連歌や茶道、能楽などを町民に普及させ、連歌所や民間の学問所が創立されました。太平洋戦争の戦火に遇わなかった町は、江戸時代そのままに、新旧の町並み、多数の社寺や地蔵堂などの文化財にも恵まれています。行程は大阪府内最大の木造建築の本堂を持つ大念仏寺にお参りした後、平野郷の町家を見ながら杭全神社に参拝。境内の大楠や環濠の名残を見学しました。高野街道を通り、途中江戸時代から伝わる「亀乃饅頭」の和菓子店で饅頭を買いながら、地獄堂で有名な全興寺に向かいました。水かけ不動尊と本堂薬師如来様に参拝し、地獄堂では音と映像で恐ろしい地獄を体感できました。全興寺に隣接する平野本町通商店街にある小林新聞舗は、創業が明治22年の大阪市内で一番古い朝日新聞販売店です。新聞舗の新聞屋さん博物館では、明治時代の新聞や号外などの資料を見ることができました。町家を改装した「おもろ庵」はレトロな展示品を見ながら、冷やしあめと甘酒を飲みながらしばし休憩。その後、少し離れた奥田家住宅に向かいました。奥田家は代々庄屋を務めた家柄で、中世末にはこの地方の豪族であったようです。奥田家住宅は国の重要文化財に指定されており、屋敷は約1500坪の広大なもので、現在の主屋は17世紀に建設されたと推定され、平成元年から5年をかけて全面修理されました。主屋の重厚な茅葺きの大屋根や長屋門形式の表門、付属土蔵、前裁などの調和した美しさを備え、江戸時代初期の大庄屋屋敷の全容を見ることができました。「平野郷」歩きの最後はお待ちかねの「がんこ平野郷屋敷」でランチ、「特別やわらぎ弁当」をいただきました。なにわ南支部から3名、中央支部から2名、北・大阪東・大阪南から各1名、計8名の方に参加いただき、本当に楽しいまち歩きでした。