「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部

【歴史探求&食いだおれ部】26/07/04 特別史跡「旧閑谷学校」を歩く

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続いて向かったのは、特別史跡旧閑谷学校です。

閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年(1670)に岡山藩主池田光政によって創建された、

現存する世界最古の庶民のための公立学校です。

初めて閑谷の地に来観した池田光政は、「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛、

地方のリーダーを養成する学校の設立を決めたのです。この学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣津田永忠は、

30年かけて、元禄14年(1701年)に現在とほぼ同様の外観を持つ、堅固で壮麗な学校を完成させました。

平成27年(2015月には「近世日本の教育遺産群」として特別史跡旧弘道館、史跡足利学校跡、

史跡咸宜園跡などとともに、最初の日本遺産に認定されました。

学ぶ心・礼節を重んじた近世の教育が、近代化の原動力となり、現代にも受け継がれていることが認められたのです。

開校以来、講堂の床に正座して論語を学ぶ姿は旧閑谷学校の伝統です。今日もここに学ぶ研修生の論語を朗誦する声がこの谷に響いています。

校門(こうもん)– 重要文化財:屋根は備前焼の本瓦葺き、棟に鯱を載せた正門。

廟の正門として建てられたもので閑谷学校の校門です。中国最古の詩集である「詩経」の中の詩に因んで鶴鳴門ともよばれています。

両脇に花頭窓のある付属屋を付けるなど中国の建築様式を模しています。

閑谷神社– 重要文化財:創始者、池田光政を祀る神社。閑谷学校の創始者、池田光政を祀っています。もとは「東御堂」、

または光政の謚をとって「芳烈祠」と呼ばれていました。本殿内には御神体として光政の座像が安置されています。

聖廟(せいびょう)– 重要文化財:儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設。

孔子廟、西御堂とも呼ばれ、最も重要な施設として中央の一番高い所に配されています。奥の大成殿には孔子像が安置され、

毎年10月には儒学の祖、孔子の徳を称える「釈菜(せきさい)」の儀式が行われます。

孔子像(こうしぞう)– 金色に輝く、京都の名工による金銅像。この孔子像は、朱子学者・中村惕斎に委託して、

京都の名工が鋳造した「金銅像」です。孔子像は椅子に腰掛けたもので高さは90cm

朱塗りの八角形の聖龕「釈菜(せきさい)」の儀式が行われます。

楷の木(かいのき)– 四季を通して情緒豊かな「学問の木」。聖廟前に植えられた二本の楷の木は、

中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り苗に育てられた内の2本です。紅葉の季節には美しく色づく楷の木を見ることができます。

【国宝】 講堂(こうどう)– 重要文化財:「学問の殿堂」、旧閑谷学校を代表する国宝。

講堂は入母屋造り、しころ葺きの大屋根と火灯窓が壮重な独特の外観を形作っています。

創建当時は「茅葺き」でしたがその後改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられました。

内部は十本の欅の丸柱で支えた内室とその四方を囲む入側とで成されています。また拭き漆の床は生徒たちによってよく磨かれています。

小斎(しょうさい)– 重要文化財:藩主が臨学の際に使用する、御成の間。

屋根はこけら葺きで簡素な数寄屋風に作られています。現存する建造物の中では、最も古い姿を残しています。

習芸斎(しゅうげいさい)– 重要文化財:農民たちも学んだ教室として使われた施設。

毎月「五経」と「小学」には農民も聴講することができる「朱文公学規」の講釈が行われました。

飲室(いんしつ)– 重要文化財:教師と生徒たちが、湯茶を喫した休憩室。

中央の炉のふちには「斯爐中炭火之外不許薪火」と彫り込まれており、火の使用に厳重な注意がはらわれていました。

文庫(ぶんこ)– 重要文化財:閑谷学校の教科書・参考書をおさめた書庫。漆喰塗で固めた上を瓦葺きにした置屋根式で、

前室には三重の土の戸を含む四層の戸が設けられています。

公門(こうもん)– 重要文化財:藩主臨学の際に使用した門で御成門とも言われます。

本柱の後ろに控柱二本を建てて切妻屋根をのせる薬医門様式の建物。

飲室門(いんしつもん)– 重要文化財:日通いの生徒や、毎月朔日(ついたち)の朱文公学規講釈に出席する聴講者が

出入りする通用門でした。

火除山(ひよけやま)– この山の西側に学舎や学房(寄宿舎)などがあり、

そこからの出火が講堂などに及ばないようにするため、防火の目的でつくられた人工の山です。

石塀(せきへい)– 重要文化財:300年を経て今も整然たる姿をたたえています。学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀は、

備前焼瓦と並んで、旧閑谷学校に独特の景観を生み出しています。