「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部

【歴史探求&食いだおれ部】10/9 小堀遠州の名園「京都仙洞御所」と数寄屋建築の傑作「四君子苑」を歩く

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10月9日(水)午前9時00分 京都市営地下鉄丸太町駅北改札口集合。

小堀遠州の名園「京都仙洞御所」と数寄屋建築の傑作「四君子苑」を巡って来ました。

京都御苑内に位置し、京都御所の東南にある白い築地塀に囲まれた区域が、「京都仙洞御所・京都大宮御所」です。

仙洞とは、俗界から離れた仙人の住む清らかな地を意味し、転じて上皇(皇位を退かれた天皇)の別称とされたもので、

仙洞御所とは上皇のお住まいを指します。また、大宮御所とは皇太后のお住まいを意味しますが、皇太后の肩書きのない女院が

お住まいになる場合は女院御所と称されました。現在の地は、後水尾上皇と東福門院(徳川和子)以来、それらの御所が営まれてきた所です。

 仙洞御所は住む方が変わる際に改修されたほか、火災に見舞われる度に再建されましたが、嘉永七年(1854)の大火による焼失後は、

上皇がおられなかったこともあり、建造物の多くが復興かなわず今日に至ります。敷地南端より庭園全体を見渡すように配置された

御茶屋・醒花亭は、庭園建築のなかで唯一残存したもので、歴代上皇の美意識と生活文化の記憶を今に伝えています。他方、大宮御所は、

英照皇太后(孝明天皇女御)のために造営された御殿群のうち、御常御殿が現存しています。大正天皇・昭和天皇の御即位の際には、

仙洞御所跡地に設けられた大嘗宮と連結して用いられたほか、現在も天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下、及び皇嗣同妃両殿下の御宿泊所として

使用されています。見どころである庭園は、当初は建築・造園の名手とされた小堀遠州の作庭によりましたが、後の改修により、南北に分かれて

いた池泉を拡張し掘割で連結するなどして現在の姿になりました。特別に誂えた約12万個もの玉石を敷き詰めた州浜がおおらかな輪郭を描く

西岸、東山連峰を背景とした深林の佇まいをみせる東岸、要所に配された橋や滝、奇石などからなる景観は、まさに市中の仙境を感じさせる

ものです。

次に訪れた「四君子苑(しくんしえん)」は、茶苑と数寄屋造りの建物(旧北村邸)で、その由来は、菊の高貴、竹の剛直、梅の清洌、

蘭の芳香を四君子と中国で讃える風習があり、その菊、竹、梅、蘭の頭の文字が「きたむら」と読めることから、その品格風格にあやかることを

祈って、北村謹次郎が命名しました。四君子苑の数寄屋造りの建物は、京数寄屋の名棟梁と謳われた北村捨次郎の晩年の作品で、昭和15年に

着工し昭和19年に完成しました。又、昭和38年には近代数寄屋建築の泰斗・吉田五十八により母屋が近代数寄屋建築に建替えられました。

現在、次のとおり「国の登録有形文化財」となっています。平成13年に、昭和19年建築の「表門」、「玄関・寄付(よりつき)」、「渡廊下・外腰掛」、

「離れ茶席」が指定され、昭和38年建替えの「主屋」は、令和2年に追加の指定を受けました。

四君子苑は「石造物の宝庫」として知られ、多種多彩な石造美術品が約60点配置されています。その中には、嘉禎3年(1237)の刻印をもち

日本最古の年銘入りと貴重視されている石燈籠、旧報恩寺形の本歌で、姿が洗練されて美しく鎌倉時代の名品とされる八角形の石燈籠、鶴の塔の

通称がある古式の宝篋印塔が含まれています。これらは鎌倉時代の作の優品で、3点とも国の重要文化財に指定されています。四君子苑の茶室は、

鴨川を隔てて大文字を正面に望む広間「看大」始め、主茶席小間「珍散蓮」などがあります。

見学の途中で、豆餅で有名な「出町ふたば」にも寄り、昼食は「中国菜燕燕」で中華ランチコースをいただきました。中央支部から3名、

なにわ南支部から3名、北支部から3名、大阪南・大阪東の各支部1名、計11名の方に参加いただき、楽しいまち歩きでした。