「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部

【歴史探求&食いだおれ部】8/29「がもよん」を歩いて名店「蒲生庵 草薙」でオフ会

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令和6年8月29日(木)午前10時大阪メトロ蒲生四丁目駅改札集合。

「がもよん」を歩いて名店蒲生庵 草薙」でオフ会をしました。

 大阪市城東区蒲生四丁目。通称「がもよん」の東西350m南北200mの狭い範囲に30軒を超す町家が店舗・宿泊施設として再生されて

いるエリアがあります。第二次世界大戦最後の年に大阪は大規模な空襲を受け、城東区でも寝屋川を挟んで対岸にあった大阪砲兵工廠を始め

工場地帯が広がっていた鴫野周辺は大きな被害を受けたが蒲生周辺はほとんど被害を受けませんでした。また、昭和初期から戦後復興期に至る

まで大規模な土地区画整理事業が、蒲生周辺では行われていません。

 それが現在、この地域に築百年以上の木造家屋、長屋そして路地が残されている理由です。とは言っても文化財的な風格ある住宅があるわけ

ではなく、大半はごく普通の一戸建てや大阪の労働者の典型的な平屋の長屋住宅です。大阪市24区のうちでも人口密度が最も高い城東区だけ

あって、表通りから一本入ると、路地や行き止まりの道に面して古い木造家屋がみっしり並んでいます。東京でいえば墨田区や足立区などの

いわゆる密集地域に似た雰囲気です。その為古い建物や路地が残されているといっても空き家が目立つ寂れた地域でした。 

 その蒲生四丁目が変わり始めたのは2008年、歴史ある寺社が残る一画に残されていた築120年の大きな米蔵が改装され今までに無かっ

た雰囲気を醸し出すイタリアンレストラン「ジャルディーヌ蒲生」に再生されてからです。古民家レストランの増えた今なら珍しくはないが

当時は古民家を利用した飲食店は少なく駅からも歩いて数分とやや距離がある立地で駅から店までの間に住宅があるだけで、この先にレストラン

があるのかと思うような場所だったのです。 

 地元の人たちの多くはこんなものが受けるとは思っていなかったはずでしたが、外からの評価は地元の人たちの意識を変えました。古い建物で

も改装すれば何とかなるものだと成功例を見て古家の持ち主の見方も変わりました。それから10年余り蒲生四丁目駅周辺には古民家を利用した

店舗が30以上にも増え、地元の若者向け雑誌で度々取り上げられる話題の店も少なくありません。注目したいのは数だけではありません。飲食

を中心とした30軒を超す店舗の内、営業的に失敗したり経営的に行き詰って撤退した店がないという点です。

昼食は、「がもよん」の本格日本料理店蒲生庵 草薙」でランチをいただきました。北支部から4名、中央支部から3名、なにわ南・大阪南・

大阪東の各支部1名、計10名の方に参加いただき、楽しいまち歩きでした.