「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部

【歴史探求&食いだおれ部】7/28「聴竹居」・国宝「茶室 待庵」・大山崎山荘美術館「大山崎」を歩く

【歴史探求&食いだおれ部】7/28「聴竹居」・国宝「茶室 待庵」・大山崎山荘美術館「大山崎」を歩く イメージ画像

令和6年7月28日(日)午前9時JR東海道線山崎駅改札集合。

木造モダニズム建築の傑作「聴竹居」・千利休による国宝「茶室 待庵」・アサヒグループ大山崎山荘美術館「大山崎」を歩いて来ました。

「聴竹居」は、建築家・藤井厚二が山林約万㎡を購入し、道路、上下水道、電気等のインフラを整備し、1928年に建てられました。

「聴竹居」は、家族と暮らしたメインの建物である「本屋」、藤井の和敬清寂を愉しむ私的な空間である「閑室」、お客様を迎い入れた

「茶室(下閑室)」の3つの建物から構成されています。
 日本には、もともと四季ある気候風土に寄り添うように呼応し自然の材料で建ててきた木造建築の長い歴史があります。しかし、江戸から明治

に移り開国した日本で近代化が始まると、それは西欧化と同時に進められ、昭和初期まで日本の気候風土や日本人の感性やライフスタイルとは無

関係に直輸入の洋館や和洋折衷の住宅が次々と建てられていきました。

 藤井は、そうした時代にあって、日本の住まいで伝統的に取り入れられてきた気候風土に合わせる建築的方法を科学的な観点から見直し、

日本の気候風土と日本人の感性に適合し、欧米の椅子式のライフスタイルや家事労働を軽減する家電を備えた「日本の住宅」を追求、「環境共生住

宅の原点」とも言われる最先端のモデル住宅を「聴竹居」で実現しました。

次に向かったのは国宝「茶室待庵」。国内にある国宝の茶室は三棟あり、犬山の「如庵」、大徳寺の「密庵」、そして、妙喜庵の「待庵」です。

しかし、利休の作として伝えられる確かなものは待庵のみとなっています。待庵は、にじり口が設けられた小間の茶室であり、数寄屋造りの原型と

なっています。妙喜庵三世功叔和尚の折、天王山の合戦が起こり、秀吉は山崎にいたり陣を敷き、陣中に千利休を招き二畳の茶室を作らせました。

利休は功叔和尚とともに秀吉に茶を点じ、労を慰めたといいます。その後茶室は解体され、江戸時代に入ってから妙喜庵に移築・再建築したといわ

れています。

屋根は切妻造り柿葺きで、重文書院の南側に接しています。この茶室の掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせと、床の間の隅や天井を塗りまわ

した「室床」の構造から、二畳ではありますが意外な広さを感じることができます。

にじり口の造られたのは待庵が最初で、室内の明るさを考えて連子窓の大きさ(全ての窓の大きさは違います)、下地窓の配置などが決められまし

た。にじり口はやや広く、淀川の屋形船の入り口がヒントと云われています。

そして最後は、アサヒグループ大山崎山荘美術館。大正から昭和初期にかけ建設された「大山崎山荘」の保存再生、活用を目指し1996年に開館

しました。

美術館では、築100年以上の建築物や美しい庭園が大山崎の景観と一体となった、特別な空間での作品鑑賞を大切にしています。朝日麦酒株式

会社初代社長山本爲三郎が支援した民藝運動にまつわる作品や、印象派の巨匠クロード・モネの傑作《睡蓮》連作などを鑑賞することができまし

た。

昼食は、阪急大山崎駅前の中国旬菜「味彩」で中華ランチをいただきました。なにわ南支部から4名、中央支部から3名、北支部から2名、大阪

南・大阪東の各支部1名、計11名の方に参加いただき、楽しいまち歩きでした。