「らびーず倶楽部」 歴史探求&食いだおれ部
【歴史探求&食いだおれ部】6/12「橿原神宮」・橿原考古学博物館 ・重伝建地区「今井町」を歩く
6月12日(水)午前10時近鉄橿原神宮前駅中央口集合。
日本の始まり「建国の聖地 橿原神宮」・橿原考古学博物館・重伝建地区「今井町」を歩いて巡って来ました。
日本最古の正史ともされる『日本書紀』において日本建国の地と記された橿原。その地にある橿原神宮は、御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建されました。
第一代の天皇であり我が国建国の始祖神武天皇と、媛蹈韛五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られています。 神武天皇は、皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降られた日向(ひゅうが)国高千穂の宮におられましたが、天下の政治(まつりごと)を行うべく、はるばる東遷の途に立たれました。途中幾多の困難に遭われましたが、ついに大和の国を中心とした中つ国を平定され、畝傍の橿原の宮において即位の礼をあげて、国の基をたてられました。
橿原神宮に参拝した後、橿原考古学研究所付属博物館を見学。橿原考古学研究所は日本で最も古い考古学研究所であり、1938年以降行ってきた発掘調査の出土資料を中心に展示を行っており、常設展「大和の考古学」は日本考古学の基準資料をもとに「目で見る日本の歴史」になっています。今年春の特別展は「家型埴輪の世界」。埴輪が古墳上に配置された全期間にわたって存続したと考えられる数少ない種類の一つ家形埴輪は、構造が複雑で大型品も多いため、その実態がよく分からず、展示で取り上げられる機会が少ない埴輪です。古墳時代の政治的な中枢が存在した奈良県内の資料を中心に、東日本と西日本で最大の製品も展示されていました。
その後向かった、神武天皇陵は畝傍山の北東のふもとに位置し、正式には「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」といいます。静けさに包まれた御陵前は、シンプルかつ厳かな空気に包まれていました。
御陵からしばらく歩き、飛鳥川の流れにかかった蘇武橋を渡ると、現在も江戸時代そのままの情緒と風情を残す町、今井町があります。多くの古民家が現存している今井町の町並みは、歴史的風致を形成している伝統的な建造物群の中でも特に価値の高いものとして、平成5年に「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けています。東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして17.4ヘクタールの地区内には、全建物戸数約760戸のうち、約500件の伝統的建造物が存在しており、これは地区内の数としては日本一を誇ります。当時の地元の建材を用い、職人の緻密な技術を施して建てられた家々は、土地の風土や自然、歴史を色濃く反映しており、民家建築の貴重な財産だといえます。 また、そういった家々が立ち並ぶ様子、地区を取り囲むように設けられていた環濠跡、屈折している通り、牛馬をつなぐための駒つなぎなど、今井町の造り自体にも、商業が繁栄し、外部からの侵入者を拒絶し独立した自治都市を築いた歴史が表されています。国の重要文化財に指定されている「今西家」の内部を見学させてもらい、ご当主の話を伺いました。
昼食は、大和八木駅前の「奈良食堂」で地元の食材を使った美味しいランチ。
中央支部から3名、なにわ南支部から2名、大阪南・大阪東・北の各支部1名、計8名の方に参加いただき、楽しいまち歩きでした。